久留米の歴史から(-ω-)/ その4  2020/5/3

こんにちは!

学校が休校状態からの大型連休に突入しましたが、仕事や学校などの日常責務があるからこその連休価値があるなぁと思う営業の山田です(-ω-)/

今回は久しぶりに久留米の歴史からシリーズ更新です。
前回までのお話は↓です('ω')ノ

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今回は久留米市に限った話ではありませんが、新型コロナウィルスの影響を受けている現代に通じるお話です('ω')ノ

御救米

江戸時代の城下町でPEST要因(外部要因)の一つが火災でした('Д')

約2年に1度のペースで城下町では記録に残るような火災が発生してたようです('Д')

耐火建築物も無い時代です……
機械的消防設備、施設もありまえん……
医療も現在のような市販薬もありません……

城下町で火災発生すると町人にはかなりの社会的影響が出ていたことが想像できます。

そんな時に町民救済として行われていたものがあります。

久留米藩から町民への「御救米」です('ω')ノ

なんか現在の一律10万円給付に通じるもにがありますね(-ω-)/

御救米とは呼び名のとおり被災者へお米を配給です。

歴史学者ではないので詳しいことまでが分かりませんが、頻繁に起こる可能性がある災害への救済準備習慣があったんでしょうね('ω')ノ

また、城下町ってことを考えると助け合い意識が強くあったのかもしれません。

良い意味で同調圧力や相互信頼が機能してたんでしょうね(-ω-)/


新型コロナ影響下で地域差はありますが、経済的影響がでてきております。
影響も一撃系ダメージではなく毒系ダメージのような継続的影響を及ぼすものです。

過去に類をみない毒ダメージ状態ですが、解決方法ではなく精神は歴史から学べます。

こんな時代だからこそ助け合う精神が必要と私は感じます(-ω-)/

寄付や救済だけが助け合いではありませ。
「仕事を創る」ことでの救済もあります。

最近は仕事を創る事を意識して仕事してます。
なんだかんだで成果もできてました('ω')テヘッ

記 山田竜嗣

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