久留米の歴史から(-ω-)/ その3  2020/3/16

こんにちは!
欧州諸国でのコロナウィルス被害をみて日本人の早期対応は結果的に良かったのではと思う営業の山田です。
今回のような場合、正しい正しくない基順がないので判断が難しくなりますね('Д')
政治非難やマスク転売非難より身近で出来る事を考える事が大事と私は考えます。

そんなこんなで今回は久しぶりに久留米の歴史からシリーズです('ω')ノ
前回までのおさらいですが江戸時代の久留米では米相場賭博が流行ったり、インドの神様を祭ったら娯楽施設になっちゃったりと、いろんな出来事がおきてますwwww
歴史は奥が深いと考えさせれますね('ω')ノ

コメ相場賭博の話はこちらをクリックww
五穀神社の娯楽施設化はこちらをクリックww

今回の話は久留米市の中心地である「六ツ門」のお話です('ω')ノ

久留米市に馴染みが無い方に簡単に場所を説明すると、西鉄久留米駅とJR久留米駅の中心地点位の場所になります。

久留米シティプラザなどの文化的施設から、一番街などのアーケード街、そして文化街などの夜の娯楽街などが混在するエリアです。

まずは六ツ門の地名由来についてお話します('ω')ノ

六つの門や関所があったなどの話も聞きますが、有力説としては時間であると言われてます。

江戸中期の流通は大八車がメインでした。

大八車の騒音や粉じんなどの苦情が多くなり、藩が大八車の運搬時間を朝の6時から夕方6時までに制限しました。

因みに上の写真は昨年のラグビーワールドカップのPV開催時の久留米シティプラザです('ω')ノ



なぜ城下町への閉門時間が6時になったんでしょうかね?('ω')ノ

因みに、長崎から欧州製の時計を藩が購入しており、その時間で時の鐘を鳴らしていたので、意外と規則正しい生活をしてたようです。

城下町の酒屋さん(飲み屋)も四時間の営業と制限れてたそうです。

当時の城下町での生活は「朝の6時から夕方6時まで働いて夜の10時まで飲み明かす」こんな生活だってでしょうね('ω')ノ

日中は元気に働いて夜はお酒を楽しむ生活を考えると江戸時代の久留米は平和だったのではないでしょうかね。

因みに一部の業種では2交代制だったようです。


今でも、久留米シティプラザでは定期的にイベントが開催され、飲食街は個人経営から大手の飲食店まで新旧混在の文化で賑わっております('ω')ノ

ベント盛りだくさんで活気ある久留米六ツ門エリア!コロナ問題が沈静化してからでも良いので一度久留米まで来た際は寄ってみてください(-ω-)/

記 山田竜嗣

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